2009年06月17日

温暖化と寒冷化の要因に関する論文

1971年7月、S・イチティアク・ラスール (S.Ichtiaque Rasool) とスティーブン・H・シュナイダーによる論文が、雑誌「サイエンス」で発表された。この論文は「大気中の二酸化炭素とエアロゾル:大きく増加する地球的気候への影響」と銘打たれ、将来起こり得る二つのタイプの人間の環境における排出物の影響を模索している。

二酸化炭素などの温室効果ガス。
スモッグなどの微粒子による汚染。それらの一部はエアロゾルとして数年間大気中に浮遊する。
温室効果ガスは、地球温暖化を促進する本当の要因と考えられそうだが、一方で微粒子による汚染は太陽光をさえぎり、寒冷化を進める。論文において、ラスールと シュレイダーは、予測可能な未来においてエアロゾルは、温室効果ガスよりも気候変動に影響しやすい、と言う説を立て、エアロゾルが四倍になれば、「(地球の)平均気温が3.5℃も下がりうるだろう。もしこれが何年間か続いたら、このような気温低下は氷河期を引き起こすのには十分なものになりうるだろう」と明言した。 この一節が示すように、ラスールとシュナイダーは地球寒冷化を、将来起こりうる筋書きと考えていたが、寒冷化の「予測」までは行っていなかった。
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1974年及び1972年の科学委員会 [編集]
ワシントン・ポストに発言の一部が掲載された中に、後のエネルギー省長官のジェームス・シュレジンガーは、1974年に米国科学審議会において、米国科学財団の理事会が次の様に明言したことを記している[13]。

「過去20年から30年の間、地球の気温は下がってきており(1974年現在)、それも最初は不規則的だったが、ここ十年間ではっきりしてきている」
この内容は正しいものだが(過去の気温変化を参照)、ワシントン・ポストは、この意見に賛成ではなかった。ワシントン・ポストは、審議会がその時よりも二年前に次のようなことを、すでに認識していたと述べた。

「過去の間氷期の記録から判断すると、今の気温の高い時代は終焉を迎えるはずで、(省略)次の氷河期に向かっていくだろう」
しかし、この文章は前後関係を無視した引用で、誤解を生じさせるものであった。完全な文章は以下の通りであった。

「過去の間氷期の記録から判断すると、今の気温の高い時代は終焉を迎えるはずで、(省略)次の氷河期に向かっていくだろう。だがしかし、人間による干渉が環境を変える可能性よりも、気候パターンが予想と違う軌道を描く可能性の方が高く、そうなりやすいとさえ言える(後略)」

1975年の全米科学アカデミーの報告 [編集]
全米科学アカデミー (NAS) による、更に研究が必要な問題に関しての報告があった[14]。これは、気候が変化すると言う事実に対して興味を向けた。1975年、NASによる「気候変化の理解。問題と対策」と言う題名の報告は予測を行っておらず、次の事実を述べていた。「我々は、気候のメカニズムや、何が気候の変化を決めているかの定量的な理解がされていない。基礎的な理解を行わずに、気候を予測することは不可能であると考えられる」。その「計画とやるべきこと」は、「気候変動の定量的評価に必要な情報を収集し、十分に調整され期待できる数値モデルの使用することである」ため、更なる研究を単に呼びかけた。

その報告は、更に次のように述べていた。

「地球の気候は常に変化しており、将来もこの変化は間違いなく続く。将来これらの変化がどれだけ大きく、どれだけ広く、どれだけ急速に生じても、我々は知ることはできない」
これは、科学及び環境政策プロジェクト (Science & Environmental Policy Project、SEPP) による発言、「NASの『エキスパート』は、1975年の報告で恐怖で取り乱している」と対立していた

2009年05月31日

1636年(寛永13年)朝鮮通信使の待遇改定

通信使は柳川事件の翌年に、それまで柳川家主導で応対されていたものが対馬宗氏の手によって招かれた。これは幕府によって宗氏の力量が試されたという側面も存在している。ここにおいて接待、饗応の変更がなされた。これは日本側の主導によるもので、変更の骨子は、第一に、朝鮮側の国書で徳川将軍の呼称を日本国王から日本国大君に変更すること(この「大君」呼称の考案者は京都五山の高僧・玉峰光璘である)、将軍側の国書では「日本国源家光」とした。第二に親書に記載される年紀の表記を干支から日本の年号に変更するということ、第三に使者の名称を朝鮮側が回答使兼刷還使から通信使に変更するというものである。将軍の呼称変更と、年紀表記変更の理由は次のように説明される。
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そもそも「国王」称号や「干支」の使用は中華秩序における冊封体制の残滓であり、中華帝国を頂点として周辺諸国を従属国視する、伝統的東アジア外交秩序そのものであり、いまこそ、その体制から離脱を図り、かつ朝鮮側にもそれを認知させようとしたのだ、という論である[誰が?]。その一方で「国王」称号は国内的には天皇をさすため、これに遠慮し次善の策として「大君」を用いたという、もっぱら国内的要因に鑑みての変更にすぎないではないかという論もあり[誰が?]、議論の決着を見ていない。いずれにせよこの制度改定は、後述の正徳度来日の際のような深刻な外交問題には発展しなかった。

その理由としては当時、李氏朝鮮は北方から後金の圧迫に忙殺されていたため、日本側の制度変更にあえて異論を挟まなかった、あるいは挟む余裕がなかったとされる。この来日の際には、幕府に朝鮮国王直筆の親書、銅鏡が進呈され、また使節団が神君とされる大権現家康が眠る日光東照宮を参拝をしたことが、国内的に大々的に喧伝され、幕府権威の高揚に利用された。

2009年04月28日

未来派

未来派(みらいは、Futurismo(伊)、Futurism, フトゥリズモ、フューチャリズム)とは、過去の芸術の徹底破壊と、機械化によって実現された近代社会の速さを称えるもので、20世紀初頭にイタリアを中心として起こった前衛芸術運動。この運動は文学、美術、建築、音楽と広範な分野で展開されたが、1920年代からは、イタリア・ファシズムに受け入れられ[1]、戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美した。

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1909年にイタリアの詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ (Filippo Tommaso Marinetti; 1876-1944)によって起草された「未来主義創立宣言」がその発端である。よりセンセーショナルにするため前世紀の有名な共産主義者宣言に倣い、題名には「宣言」(Manifesto)が使われた。内容は前年に出版されたジョルジュ・ソレルの「暴力論」に影響を受けており、あらゆる破壊的な行動を讚美する非常に過激なものだった。未来派の思想は「未来主義」と呼ばれることもある。

未来派の主要な芸術家・美術家としては以下のような人物が挙げられる(すべてイタリア)。

ジャコモ・バッラ (Giacomo Balla; 1871-1958)
ジーノ・セヴェリーニ (Gino Severini; 1883-1966)
ウンベルト・ボッチョーニ (Umberto Boccioni; 1882-1916)
ルイジ・ルッソロ (Luigi Russolo; 1885-1947)
カルロ・カッラ (Carlo Carra; 1881-1966)
フォルトゥナート・デペーロ (Fortunato Depero; 1892-1960)
エンリコ・プランポリーニ (Enrico Prampolini; 1894-1956)
アントニオ・サンテリア (Antonio Sant'Elia; 1888-1916)
マリオ・キアットーネ (Mario Chiattone; 1891-1957)
ブルーノ・ムナーリ (Bruno Munari; 1907-1998)

未来派の背景と展開
産業革命以降、ヨーロッパでは中世の封建社会から資本主義社会への転換が起こり、それに伴い様々な社会情勢も劇的な変化を遂げた。また、科学技術の進歩により戦争に人間を大量に殺戮する「兵器」が投入され、近代戦争へと変容した。旧来の価値観の変化と、それに伴う社会不安を背景に、19世紀末頃より「表現主義芸術」が興隆し始める。

未来派は、表現主義芸術の影響を受けつつも、もっと純粋に肯定的に、近代文明の産物や、機械の登場によって生まれた新たな視点を、芸術に取り入れようとした。画家達は、今で言う高速撮影の連続写真のように、主題となる対象物の動きを一枚の絵に同時に描くことで、運動性そのものの美を描こうとした。マリネッティが「動力派」というネーミングも候補にしていたことから、未来派が志向していたところがわかる。ルイジ・ルッソロは、ノイズミュージックの原点とも言えるミュージック・アート「騒音芸術」を創造した。この運動に作曲家のジャチント・シェルシは最年少で加わった。

未来派の芸術家たちの一部はやがて、好戦的で戦争や破壊を新しい美とする部分の認識で共通していたファシズムの政治運動と結びついていく。首唱者のマリネッティ自身も、右翼行動団体「戦闘ファッシ」(イタリアファシスト党の前身)の一員だった。しかし、1920年5月にベニート・ムッソリーニが「国王及び教皇の追放」という未来派の要求を排した事などから、マリネッティを始めとする未来派の多くが党から脱退した。1922年には共産主義の文化組織が主催する未来派の展覧会が複数開かれるが、ムッソリーニ政権が誕生した1923年にマリネッティは未来派とファシズムの友好関係を謳う声明を発表し、1924年に再びマリネッティはファシスト党へ再入党する。その過程において、思想的矛盾やファシズム政党への反発などにより芸術家達の内部離反を招き、後期には未来派は「退廃芸術」とイタリア国家から看做され活動が制限され、彼らの集団は崩壊していく。

未来派の芸術運動は、ロシアでも起こり、その後のロシア構成主義芸術や、ダダイズムの画家達、現代音楽や演劇・バレエなどに伝播し、様々なジャンルの前衛芸術家達に影響を及ぼした。一部の芸術家がファシズムと結びついたことで、評価を受けなかった時期もあったが、政治的な立場が異なったアントニオ・グラムシなどからの評価や、現代においては、工業的テクノロジーを芸術に取り入れた先駆性の部分が再評価されている。

2009年04月12日

母天体

母天体(ぼてんたい)は、流星群を生む流星物質を放出している天体である。母天体は、周期彗星か、最近まで彗星だった小惑星である。母天体が彗星のばあい、母彗星とも言う。

彗星が太陽に接近すると、水などの揮発成分にともない、大量のダストが放出される。ダストが放出されるのは太陽に近づいたときだけだが、ダストは彗星とわずかに相対速度を持ち、軌道全体に広がり、ドーナツ状に分布する。これがダストトレイルである。地球がダストトレイルを通過したとき、流星群が見える。

母天体が長く現在の軌道を回っていると、ダストはダストトレイル全体に広がり、毎年安定した流星群が見られる。逆に、現在の軌道をあまり回っていないと、ダストは彗星の前後にしか存在せず、彗星の通過とほぼ同時に地球がダストトレイルを通過しないと、活発な流星群が見られない。ジャコビニ・ツィナー彗星が母天体のジャコビニ流星群、テンペル・タットル彗星が母天体のしし座流星群がこの例である。

長い時間がたつと、短周期彗星は揮発性物質を使い切り、小惑星になると推測されている。ふたご座流星群の母天体であるファエトンは、(天文学的時間スケールで)つい最近まで彗星だったと思われる。このような天体は、彗星・小惑星遷移天体 (CAT) に分類される。

流星群の名前は通常、放射点の星座(しし座流星群など)や近くの星の名前(みずがめ座η流星群など)である。これは、母天体の発見より何十年も先に流星群が観測されるからである。しかし、ジャコビニ流星群は例外的に、母天体ジャコビニ・ツィナー彗星(旧称ジャコビニ彗星)の名で呼ばれる。これは、先に彗星が発見され、その後、木星の重力で軌道を変え、地球の軌道と交差し、流星群が見られるようになったからである。

なお、流星になっていない、宇宙空間で採取したダストについて「母天体」と言うことがある。

母天体と流星群 [編集]
地球と彗星の軌道は最大2ヶ所で交わるので、1つの彗星が2つの流星群の母天体になることがある。ダストトレイルに濃淡があると、もっと増えることもある。

しぶんぎ座流星群の母天体は確定していないが、話題になることが多いので記した。

ハレー彗星 (1P) → みずがめ座η流星群・オリオン座流星群
エンケ彗星 (2P) → おうし座流星群
ポンス・ウィネッケ彗星 (7P) → うしかい座流星群
タットル彗星 (8P) → こぐま座流星群
ジャコビニ・ツィナー彗星 (21P) → ジャコビニ流星群
テンペル・タットル彗星 (55P) → しし座流星群
シュワスマン・ワハマン第3彗星 (73P) → ヘルクレス座τ流星群・うしかい座α流星群
マックホルツ第1彗星 (96P) → かみのけ座流星群・おひつじ座流星群・しぶんぎ座流星群 ?
スイフト・タットル彗星 (109P) → ペルセウス座流星群
C/1490 Y1 = 2003 EH1 → しぶんぎ座流星群 ?
ブランペン彗星 (P/1819 W1) = 2003 WY25 → ほうおう座流星群
サッチャー彗星 (C/1861G1) → こと座流星群
ファエトン (A 3200) → ふたご座流星群

ポップ ルーペ チョーカー シスコ ヤマブキ スカル タイタ イタドリ スター リーザー ケプラー プリンス バトントワラ ビーエス ドリー おおばこ 夢の跡 朧月夜 キック セルフタ 金時 モナーキー シクリカル ショック アウフへ ペンター 旅の夜風 マンド サンチュ ナンバ ショタコ ハンド レイン 都の桜 ハマソウ メッセ ノリウツ しゅひょう ニューメ パンチ ゲーマー ムハンマド ニエオ プレー ビキサン タント ヒッポグ タキシ 秋霖 トラスト

2009年03月28日

ジェンダー

ジェンダーとは

文法における性(Grammatical gender)のこと。
生物学的性(Sex:the fact of being male or female)のこと。
社会科学の分野において、生物学的性に対する、「社会的・文化的な性のありよう」、または「女性」と同義として使われる場合がある。
社会学者のイヴァン・イリイチの用語で、男女が相互に補完的分業をする本来的な人間関係のあり方。イリイチはその喪失を批判している。

先天的・身体的・生物学的性別を示すセックス(sex)に対する、「社会的・文化的な性のありよう」のことを一般に日本ではジェンダーという[1](この場合の「ジェンダー」という用語それ自体には、良い悪いの価値判断を含むものではない)。

一方、欧米においては"gender"は、生物学的性の概念を含み、また文化的な差異とも異なるものとして認められる
いしか ネーブル すたーふる リンホ オペミ 人気ツル タルク ガバナンス 二人のロ フォレ ギロチン トンコツ なか ダンス エベント タクティ タシケント バトンタ ポンプ グルーピー ツァイ ティッ フラット オーソ カルソ ラングド テニス ルチンスク プレーバコ とんだばや ピラカンサ パートタイ コネク ディア ミニチュア ラミア ルクソール ドアロック キンモ ビッグベン のあや フロイト リリー ビッグ ケワキ ハープ レンブ ビーエス ノッチ ロック

語源と用法 [編集]
語源はラテン語のgenus(産む、種族、起源)である。共通の語源を持つ言葉としてgene(遺伝子)、genital(生殖の)、genre(ジャンル:仏語)などがある。「生まれついての種類」という意味から転じて、性別のことを指すようになった。

この生物学的性のイメージを基にして、20世紀初頭には、genderはフランス語などにおける有性名詞の性による分類ないし分類クラスをさす文法的な用語として用いられるようになっていた。

1950年代より、一部の社会科学の分野においてgenderは生物学的性よりもむしろ社会的性の意味で用いられるようになった。しかし1970年代の時点では、genderとsexをどのような意味で用いるかについて合意形成は存在しなかった。たとえば1974年版の「Masculine/Feminine or Human」というフェミニストの本においては、「生得的なgender」と「学習されたsex role」という現代とは逆の定義がみられている。しかし同著の1978年の版ではこの定義が逆転している。1980年までに、大半のフェミニストはgenderは「社会・文化的に形成された性」を、sexは「生物学的な性」として使用するようになった[3]。このように、社会科学の分野においてジェンダーという用語が社会・文化的性別のこととして用いられ始めたのは比較的最近のことであることが分かる。

しかし現在、英語圏では、genderは生物学的な性も社会的な性も指す単語として用いられる。前者の場合、単にsexの婉曲あるいは公的な表現として使用されていることになる。例えば、女子のスポーツ競技において、生まれつきの性別を確認するために染色体検査が行われることがあるが、これを指す用語として英語ではジェンダーベリフィケーション(gender verification)という用語を用いる。

複数の英英/英和辞書において"gender"は、第一に「言語学的性(文法上の性)」として、第2に、古くから使われてきた「生物学的性別(sex)」として記述されている(出典:ジーニアス英和辞典、Websterの辞書)。それらに続き、社会科学の分野において用いられる「社会的・文化的役割としての性」という意味の語として記述がなされることがある(出典:英語版ウィキペディア)。「言語学的性」とは、例えば男性を代名詞でhe、女性をsheと分けて表記するようなことである。「生物学的性(sex)」とは、ロングマン現代英英辞典によれば、"the fact of being male or female(男性または女性であることの事実)"と説明され、male(男性)は「子供を産まない性」、female(女性)は「子供を産む性」と定義される。またヒト以外の動物の雌雄を記述する場合にも用いられる。「社会的文化的役割としての性」とは、その性(sex)から想起される「男らしさ」「女らしさ」といった様々な特徴のことである。

ジョーン・w・スコットの著書『ジェンダーと歴史学』によれば、近年、欧米の社会学において、"gender"という用語はほとんど(7割程度)の場合、「女性」と同義で使用されている(例:"Gender and Development" 「女性とその経済力向上」)。


2009年03月12日

サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院

サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院 (スペイン語: Real Monasterio de Nuestra Señora de Guadalupe)は、スペイン・エストレマドゥーラ州カセレス県グアダルーペにある修道院。4世紀以上に渡って、国で最も重要な修道院とされてきた。ユネスコの世界遺産 に登録されている。
ターラン ジープ 指相撲 ギスタン ピアサ ネンタケ リーズ ろくめい レヤイ モルタ つちいろ ダム最適 スモークン シンク ランス スキャッ テヘラ プロケド キックバ バングル シングル ジェルボア ロフト カッサバ ネーズ ロース あわゆ マイド スローキ くわがた ナノマ ミネラル イミテー 桃一郎 ノット マップマット すくね ロール ウォッチ オードュ イズム スタン トレー ドラッスト トラフ ハインド シナサ ジット 邪馬台国 エッフェル

歴史
修道院の始まりは13世紀後半である。カセレス県の羊飼いヒル・コルデロが、グアダルーペ河岸で聖母像を発見したのである。この像は、ムーア人侵攻のあった714年に明らかに地元住民が隠した物だった。この発見の場所に、礼拝堂が建てられた。

カスティーリャ王アルフォンソ11世は一度以上この礼拝堂を訪れ、サラド川の戦いの勝利を『グアダルーペの聖母マリア』に祈った。戦いで勝利をおさめると、王は聖母の取りなしのおかげで勝利したとして、王家の聖地としてグアダルーペの教会と資金を提供しての再建計画を引き受けた。

1389年、聖アウグスチノ修道会に属する修道士たちが修道院を引き継ぎ、彼らの主要な家とした。建設は初代院長の命のもと続けられ、1474年にエンリケ4世、次に彼の生母マリア・デ・アラゴンが埋葬された。

修道院は『グアダルーペの聖母』が崇拝されるメキシコのグアダルーペ大聖堂など新世界の信仰共同体を持ったことから裕福であった。エストレマドゥーラのこの地は、1492年にアメリカ大陸を発見後のクリストファー・コロンブスが最初の巡礼地とした。ここで初めて彼は、自身の発見を神に感謝したのである。

グアダルーペ出身の修道士たちが、マドリード近郊の有名な修道院エル・エスコリアルを設立後も、サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院は王家の庇護を受けた。1835年の修道院の世俗化まで、修道院はスペインにおける重要な隠遁地であった。20世紀、修道院はフランチェスコ会とローマ教皇ピウス12世によって復興し、1955年に小聖堂が教皇庁聖堂とされた。

記念建造物
建築物が幾世紀も発展させられた修道院は、未だアルフォンソ11世と彼の後継者たちが建てた14世紀から15世紀の『テンプロ・マヨール』(主礼拝堂)が占めている。四角いサンタ・カタリーナ礼拝堂は15世紀のものである。17世紀の装飾を凝らした墓群で知られる。16世紀の聖遺物礼拝堂はバロック様式の祭器保管所(1638年-1647年)でサンタ・カタリーナ礼拝堂とつながり、フランシスコ・デ・スルバランの絵画などで華麗に飾られている。

聖堂の背後は、カマリン・デ・ラ・ビルヘンという六角形のバロック建築(1687年-1696年)である。印象的なしっくいの聖母の間で、ルカ・ジョルダーノの9枚の絵画がある。この贅沢に飾られたホールの宝石は、聖母像の冠のもので、修道院に寄進された物である。

他に知られる建築物は、壮麗なプラテレスクの入り口のあるムデハル様式の回廊(1389年-1405年)である。他に1531年から1533年にかけてのゴシック様式の回廊と、1730年にコロンブスの子孫によって委任された新教会である。残念にも、「イサベル1世の宮殿」(1487年-1491年)は、1856年に取り壊された。

2009年02月24日

トップをねらえ!

人類が宇宙に進出するようになった時代、地球は宇宙生物群(通称・宇宙怪獣 (STMC))による激しい攻撃を受けていた。その脅威に打ち勝つため、地球はマシーン兵器の後継機であるバスターマシン「ガンバスター」を製造。その搭乗員に選ばれたトップ部隊隊員の一人であるタカヤ・ノリコの双肩に人類の未来がかかる。

タカヤ・ノリコ
声 - 日高のり子
沖縄女子宇宙高校・通称「沖女(オキジョ)」生徒。宇宙に憧れ、宇宙を目指す少女。未熟だったが持ち前の努力心と人並外れた根性をコーチ(コウイチロウ)に見出され猛特訓し、徐々にその力をつけていく。搭乗機はRX-7(愛称:ナウシカ)とガンバスター(バスターマシン1号)。宇宙怪獣との戦闘、スミスとの死別、トラウマの克服など様々な経験をし、心身ともに飛躍的に成長する。数々の苦難を乗り越えた彼女は終盤では雲の上の存在だったカズミをそれまでとは逆に叱咤激励するまでに至る。
2006年9月12日生まれ。血液型はO型。中学は大阪市立三陵中学校を卒業している。この校名は大阪市住吉区に実在する大阪市立三稜中学校がモチーフと思われる。父親は宇宙軍の提督で戦艦「るくしおん」の艦長であったが、突如遭遇した宇宙怪獣の奇襲により指揮する艦隊が全滅、戦死している。
「タヌキ顔」とされ、バストは小さい(と、されているが、作画上はそれなりのボリュームで描かれている。また、最終話では成長し「B86くらい」になっている)。設定資料には彼女の全裸の画像もあり、局部まで描かれていたようだが、本編映像ではモザイク処理された。
無類のアニメ好きで、自分の部屋に『風の谷のナウシカ』などのポスターを貼っている。初めて宇宙に出るとき、カズミ、オオタともに東京オリンピック開会式での日本選手団風のブレザーを着用していた。名前は先述のとおり樋口真嗣夫人で、スタジオジブリ作品でハーモニー処理を手掛ける高屋法子から。本編では終始標準語で喋っているが、庵野監督執筆のコミックでは南大阪出身という注釈つきで少しだけ関西弁を披露している。
アマノ・カズミ
声 - 佐久間レイ
沖女生徒。才色兼備の優等生だがそれは日々の鍛錬に裏付けられたものである。ノリコを始め、彼女を慕う女生徒からは「お姉様」と呼ばれる。ノリコの力を疑問視していたが、次第にパートナーとして認めていく。落ち着いた性格の一方で精神的にもろい部分がある。また、「夕雲流(無住心剣流)」剣術の使い手でもある。搭乗機はRX-7(カスタム機、愛称:ジゼル)とガンバスター(バスターマシン2号)。太陽系絶対防衛戦の後にコウイチロウと結婚し沖女のコーチになったが、最終決戦に志願し、バスターマシン3号(ブラックホール爆弾)に搭乗して銀河中心殴り込み艦隊に合流した(決戦においてはユングからバスターマシン2号を譲られる)。
2004年11月15日生まれ、血液型B型。小説「トップをねらえ!魂」によれば、父はアマノ・ヒロユキ帝国宇宙軍少佐、母はアマノ・ツキコ航空物理学者(インコム社社員)、ともにコウイチロウの同級生で、カズミ自身も小学校入学頃からの知り合い。2018年宇宙怪獣捕獲事件の際、父は艦長を務めていた電子偵察艦ゆきかぜでワープし行方不明、母は重体となった。またその際、試作ガンバスターでコウイチロウとともに宇宙怪獣と闘い、バスタートマホークとファイナル・イナズマキックで勝利する。
名前はガイナックス社員の岡田和美(旧姓・天野)から。
ユング・フロイト
声 - 川村万梨阿
宇宙に上がったノリコたちが出会ったロシア(作品発表当時はソビエト連邦)からの候補生(月面基地所属)。タツミからは「天才」と呼ばれている。負けず嫌いで感情の起伏が激しく、ノリコ達に烈しいライバル心を抱いていたがやがて親友になる。「キツネ顔」とされ、バストが大きく重力が苦手。搭乗機はRX-7(カスタム機、愛称:ミーシャ)とシズラー・黒(ブラック)。カズミに最初に仕掛けた技は「ジャコビニ流星アタック」(漫画『アストロ球団』に登場するジャコビニ流星打法に由来)。銀河系中心部では当初バスターマシン2号に搭乗していたが、最終決戦でカズミに譲り自分はシズラーに搭乗する。『トップをねらえ! NeXT GENERATION』によれば、地球帰還後に銀河連邦初代大統領となった。
2004年9月12日生まれ。なお、パイロット三人娘は全員音痴でユングが一番ひどいらしく、サントラCDに収録されたCDドラマでは、試作の音波砲(人間の声を音源に敵を撃退する兵器)の試射で自らの歌声によってエクセリヲンの第三艦橋やレーダーを大破させている。名前は精神分析の祖ジークムント・フロイトとその弟子カール・グスタフ・ユングの合成。
オオタ・コウイチロウ(コーチ)
声 - 若本規夫
沖女の講師にしてガンバスター開発者。元はノリコの父親の部下で、るくしおん艦隊の数少ない生き残りの一人である(その時に右目が怪我により失明)。ノリコの才能に注目し過酷なまでの試練を課す。一見冷徹に思えるがその心は「炎」のように熱い。実は不治の病・宇宙放射線病を抱えている(続編『トップをねらえ2!』では既に治療法が確立されている)。小説「トップをねらえ!魂」によれば、2016年2月18日オオタ大尉は軍事裁判で無罪確定、少佐となり自ら起草したRX計画(ガンバスター開発計画)の責任者(とともに沖女の講師)となった。2018年宇宙怪獣捕獲事件の際、カズミとともに試作ガンバスターで宇宙怪獣に勝利、中佐に昇進した。2033年、銀河中心殴り込み艦隊の出撃直前にカズミと結婚するも、同年12月19日没。
名前は漫画家の眠田直の本名・太田宏一朗から(「コーチ」の愛称とも引っ掛けたダブルミーニングである)。なお使用している杖は『ウルトラマンレオ』の主人公に過酷な試練を課すモロボシ・ダンが使用している物と同型である。
ヒグチ・キミコ
声 - 第1話渕崎ゆり子、第5・6話勝生真沙子
沖女時代のノリコの親友。ウラシマ効果により、地球に残った彼女と宇宙にいるノリコ達との外見年齢の差が徐々に大きくなってゆく。宇宙怪獣との戦闘にあけくれているノリコの身を案じている。第5話では結婚して姓がアカイになった。娘の名前はタカミで後に沖女に進学している。
2006年6月10日生まれ。OVA版では少女時代を渕崎ゆり子、成長後を勝生真沙子が声を担当したが、再編集劇場版では一貫して渕崎ゆり子が担当している。
名前は漫画家のひぐちきみこ(赤井孝美夫人)から。ひぐち自身、第1 - 3話エンディングの手書きテロップも担当している他、「コミックガンバスター」ではヒグチ・キミコ名義で作品を執筆し寄稿している。『トップ2』でも公式HPにて劇中では知られざる裏話を披露する漫画「不適なトリビア!」を連載。
タシロ・タツミ
声 - 大木民夫
ヱクセリヲン艦長。後に銀河中心殴り込み艦隊司令官。好々爺。緊急時に敵味方区別なく砲火にさらすなど、あわて者だが自身に課せられた使命と搭乗員たちの命の重さは十二分に理解している。「何てこった」が口癖。『トップをねらえ! NeXT GENERATION』によれば、地球帰還後にユングらと共にクーデターを起こし銀河連邦を建国した。
名前および顔は音響監督の田代敦巳(グループ・タック社長、『宇宙戦艦ヤマト』音響監督)から。
副長
声 - 西村知道
本名不明。ヱクセリヲン副長。冷静沈着で理論的。
スミス・トーレン
声 - 矢尾一樹
宇宙に上がったノリコが出会った青年。アメリカテキサス州出身。タカヤ・ユウゾウ提督に憧れパイロットを目指し、三流の宇宙高校から水兵を経てマシーン兵器パイロットになる。搭乗するRX-7の愛称は「イーグルサム」。提督の娘であるノリコの事を気にかけていて、彼女を激励し、良い雰囲気にもなったが、直後の戦闘で未帰還となる。彼を助けられなかったトラウマのためノリコはマシーン兵器パイロットとしての能力を喪失しかけるが、それを克服させるためコウイチロウはガンバスターの操縦訓練を始めさせる。地球帰還後、ノリコはスミスの家族に彼の最期を伝える手紙を出し、スミスの兄から感謝の手紙とスミスの写真を受け取っている(小説版。スミスの写真は本編第6話にも登場している)。
名前はアメリカでの(日本の)マンガ翻訳のパイオニアであり、一時期ガイナックスに出入りしていたトーレン・スミスから。
カシハラ・レイコ
声 - 勝生真沙子
沖女生徒。ノリコがトップにスカウトされた事を受け、ノリコに対し陰険ないじめをしていた。そしてノリコに決闘を挑むも必殺技・イナズマキックを浴びせられ敗北、彼女の実力を思い知った。粘着質な性格かと思いきや潔い面もあり、素直にノリコとの対決の敗北を受け入れ、見送る際には最前列で笑顔で彼女らを送り出すシーンが見られる。第5話では沖女の教師になって後進の育成にあたっており、最終話では沖女の校長としてカズミと会話を交わしている。

兵器
バスターマシン
バスターマシン1号、2号
宇宙戦艦。合体してガンバスターとなる。
バスターマシン3号
木星を圧縮して建造された超巨大ブラックホール爆弾。

マシーン兵器
マシーン兵器 (RX-7)
一人乗りの小型戦闘機怪獣対戦用の大型人型機動兵器。日産自動車とフォルクスワーゲンの共同開発という設定になっている。武装は、カリホルニウムを利用した原子爆弾とプラズマランサー。
直接の戦闘以外の用途にも使用されており、地球上ではバスターマシン発進時の管制など、銀河中心殴り込み艦隊では艦載砲の砲手として使われている。
シズラー
量産型ガンバスター。性能はオリジナルに対してやや劣るが、開発者によるとガンバスターより実用性は優れているらしい。

宇宙戦艦
艦内インテリアやデータ表示はほぼ日本風で統一されている(人類の宇宙進出以前の日米戦争で日本がマシーン兵器の活躍によって勝利し、地球帝国を建国したという背景設定があるため)。ヱクセリヲン艦内の交通手段として鉄道が走っており、それも日本の国電を模したものとなっている。もっとも、ヱクセリヲンの艦名は英語で表記されており、ヱルトリウム時代になると艦内の表記も英語のものが増えていることが確認できる。

ヱクセリヲン
るくしおんの後継艦として建造された戦艦でヱクセリヲン級のネームシップ。宇宙怪獣の研究等を目的とする艦隊を組織して出航、10年後に帰還する。この航海で艦隊はヱクセリヲンとガンバスターを除き全滅。ただ、このタイプはかなり汎用性が高いらしく、改良型のスーパーヱクセリヲン級が銀河中心殴り込み艦隊の主力として多数就役している。
ヱルトリウム
ヱクセリヲンの後継艦として建造された全長70km超の超巨大宇宙戦艦で、ヱルトリウム級のネームシップ。地球脱出の為に建造されていたが、太陽系絶対防衛戦後に銀河中心殴り込み艦隊の旗艦として出撃する。また、同型艦としてアレクシオンがある。
るくしおん
人類初の超光速宇宙戦艦。外宇宙の探索に出発するが宇宙怪獣と遭遇、攻撃を受け戦闘不能になり放棄。艦長はタカヤ・ユウゾウ提督。15年後に太陽系に亜光速で飛来し、再び外宇宙へ飛び去って行った。レーザー砲や宇宙魚雷を装備するが宇宙怪獣と戦うことを予定したわけではなく、歯が立たなかった。艦名はタキオンに対する光速で移動する粒子に由来。
ツインヱクセリヲン級
銀河中心殴り込み艦隊所属。ヱクセリヲン級を2隻合わせたような形をしている。縦に繋げたものと、横に繋げたものがある。
スーパーヱクセリヲン級
銀河中心殴り込み艦隊所属。銀河中心部で遭遇した宇宙怪獣には歯が立たなかった。全長約30km。
ミング カメリア ハード ナーナ バスロフ バイザー シースルー ピンポン アール キンメイ おもいで モスク バゲージ きらめき ワシン ステージ ドンキ バージョ トンガ スノイズ 春が来た ガスマ オープン チルド シクラメ オーバ ケール バタリアン オカル イシュー トップ スタイ スロバキア ミドルエ ミニマム マキドイ フェイ 王様の楽園 ミラー フーズフー 時の風 リーバイ ゴユリ レイキャ ブラン フリップ ショット ホイール ガーデ アルフ

宇宙軍艦隊(巡洋艦、艦載機など)
たーじおん
ヱクセリヲン艦隊に所属する巡洋艦。リーフ64会戦で轟沈。戦闘シーンはなく、重力ターンを終了した初登場シーンから、次の登場シーンでは真っ二つに折れてしまっていた。艦名はタキオンに対して光速には達しない粒子に由来。
ボゾン
ヱクセリヲン艦隊に所属する重巡洋艦。火星沖会戦で操舵不能に陥った。画面には登場しない。艦名は整数のスピンを持つ粒子に由来。
フェルミオン
ヱクセリヲン艦隊に所属する巡洋艦。火星沖会戦で自沈。ヱクセリヲンとガンバスター以外では最後までねばっていたしぶとい艦。この艦が自沈するときの画から、ヱクセリヲンがいかに巨大かがよくわかる。艦名は整数+1/2のスピンを持つ粒子に由来。
コスモアタッカー
宇宙戦闘機。ビーム砲やミサイル、イナーシャルキャンセラーを装備し、戦闘直前に組み立て発進する。RX-7と並ぶ対宇宙怪獣用の小型戦力だが、あまり活躍の場面は描かれていない不遇な存在。
亜光速回収艇
太陽系内ならば十分に活動できる小型宇宙船。「るくしおん」飛来時にオオタがノリコ&カズミを回収するために使った。
るくしおんの脱出艇
「るくしおん」内部に搭載されている。戦闘不能に陥ったるくしおんの乗組員49名を乗せて地球に帰還した。外宇宙で遭難した彼らが地球に帰還できたことから、縮退炉が搭載されていると思われる。
続編『トップ2』ではこのシーンのオマージュとして戦艦カラコルムの脱出艇が数秒間登場する。全体は明らかでないものの、その形状、塗装などが「るくしおん」の脱出艇に酷似している。

兵器など
縮退炉
ワープ航法を可能にした動力機関。暴走するとボイド効果により人工ブラックホールとなる。人類が生み出した最大の動力であり、シズラーに搭載されている星3号縮退炉の生み出す熱量は太陽と同じだとされる。本作の後の世界では、縮退炉が宇宙怪獣を引き寄せるものとして封印された。
プラズマランサー
RX-7やシズラーの使う電撃兵器で、両端から電撃を発する。電撃に弱いという宇宙怪獣の弱点に着目している。
プラズマソード
同じくRX-7の電撃兵器。こちらは敵に刺突して電撃を浴びせるもの。ユングはこれを主に使っている。もちろん剣として用いることも可能。
カリホルニウム核爆弾
RX-7に搭載する遠距離兵器であり、兵隊級宇宙怪獣に使用される。核弾頭としての寿命が3時間と短いので、戦闘では必ず使用することが求められる。
レーザー砲
艦艇による砲撃など様々なものが見られる。宇宙軍の標準装備と言ってもよい。宇宙怪獣に対してはそれなりの効果があるらしい。色は赤。ちなみに『トップ2』では青になっていた。
光子魚雷
『トップ』世界では人類初の縮退兵器。戦艦に搭載される必殺兵器だが、巡洋艦級の宇宙怪獣はこれを数発食らっても生きていた。ガンバスターが指先から連射するバスターミサイルマイトも光子魚雷。こちらはかなり大型の宇宙怪獣を消滅させた。命中弾数が多いとはいえ、この効果の違いは努力と根性によるものとしかいえない。ちなみにエクセリオン艦内にある格納庫では光子魚雷のケースに核兵器を示す放射能マークがついている。

交通機関
ウルトラひかり
作中世界の高速交通機関として、第五話に登場。真空チューブ軌道内をリニアモーターによって走る磁気浮上式鉄道と思われる。東京 - 沖縄間をわずか数時間で結んでいる。作品中で「時速750km」の表記が見られる。
軌道ロープウェイ
第6話に登場する、地上基地と宇宙ステーション・メリディアンスターとを結ぶ軌道往還交通機関。「太陽系絶対防衛戦の英雄」オオタ(アマノ)・カズミと案内役の宇宙軍士官のバスターマシン3号=ブラックホール爆弾に関する対話の背景である。軌道エレベータのパロディだが、その超絶的技術力もさることながら、観光用にも併用されていて民間企業の広告満載という有様が、『トップ』世界の不思議なリアリティを感じさせる。

サブタイトル
第1話「ショック! 私とお姉様がパイロット!?」
沖女におけるカズミとノリコのパイロット選抜に関するエピソード。
第2話「不敵! 天才少女の挑戦!!」
ユング登場。太陽系外縁部に光速で飛来した物体の調査作戦が行われる。
第3話「初めてのときめき☆初めての出撃」
リーフ64会戦。スミス登場。
第4話「発進!! 未完の最終兵器!」
宇宙怪獣に裏をかかれ、太陽系への侵入を許す。火星沖会戦。ガンバスター初出撃。
第5話「お願い!! 愛に時間を!」
太陽系絶対防衛戦。バスターマシン1号、2号での初出撃。そしてガンバスターに合体。
最終話「果てし無き、流れのはてに…」
バスターマシン3号が完成、銀河中心部いて座A*にて最終決戦「カルネアデス計画」。そして感動のエンディングへ。

科学講座用語
『トップをねらえ!』の世界に設定された科学講座にでてくる用語。以下は『サイバーコミックスNO05』(バンダイ、1988年(昭和63年)12月25日)を出典とする。

エーテル理論
1995年に天才物理学者R・タンホイザー(? - 2013年5月4日失踪)が「Pacific Sci-ence」誌上に発表した「運動する物体のエーテル電磁気学」にはじまる、1995年 - 1999年におよぶ一連の論文により確立された。内容はゲージ理論、超弦理論、高次元空間理論により電磁、弱、強、重力相互作用を量子化し述べたもので、超統一理論であった。それによると互いに回転する複数のブラックホールに(エネルギー運動量が保存されない)高次元時空の泡が存在することが示されのちにタンホイザー・ゲートの名で知られる事になる。タンホイザーはこの功績で5年連続ノーベル賞を受賞している。
タンホイザー・ゲート
(名称はSF映画『ブレードランナー』の終盤の科白から)
バニシング・エンジン(バニシング・モーター)
タンホイザー・ゲートを利用し、この世界唯一のCプラス航法(光速を越えたように観測される航宙方法のこと)であるワープを可能とするエンジンのこと。なお超光速航法の正式名称は「次元波動超弦励起縮退半径跳躍重力波超光速航法」である。最初に発売されたOVAでは「励起」が「迎起」と誤記されており、再発DVDで訂正されている。
イナーシャル・キャンセラー
Gレーザー(GRASER, GRavity Amplification by Stimulated Emission of Radiation:放射誘導放出による重力増幅。イギリスのウィンズゲールにあったGレーザー研究所による研究段階では多量の水素原子を融合させ強大な重力波を得る)の技術による慣性消去システム。主にタンホイザー・ゲート内を超光速で移動していたワープ装置搭載の宇宙船がワープアウトし通常空間にもどった際などに、光速の90%もの速度による慣性を制御するため使用される。ただし小型化できコスモ・アタッカーにも搭載されている。
ちなみに、バンプレストのゲーム『スーパーロボット大戦シリーズ』に登場した時は、敵の攻撃を防ぐバリヤーになっている(第四話で宇宙怪獣を受け止めた時の描写からと思われる)が、本編中では攻撃を防ぐバスターシールドとは別のシステムと設定されている。
バニシング事件
2007年10月に人類初のワープ装置が実験中に消滅した事件。これがバニシング事件と呼ばれ、後にワープ装置はバニシングモーターと命名された。原因のひとつはMBH(マイクロブラックホール)制御技術とイナーシャル・キャンセラーが実用化にまで至っていなかったことである。

2009年02月08日

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき

『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』は、ドイツのルター派牧師であり反ナチス行動で知られるマルティン・ニーメラー (Martin Niemöller,1892?1984) による著名な詩。
プレシン スタン ガッツ ジャー ひのえま トーイ プールバ ジメチル ウイット ブチュ ディス ハピパラ ていてつ コチニー ハトムギ トライク 紅葉雪 スカラ はちのへ ストラ 熱帯雨林 ストーン テンス もみじが NETリブ 恋待月 サーチ 桜坂 チシェリー トートナビ フェノール ツルコ のへじ トレラ ルーセン つるみ デジカルビ ディパー オーナラ すぎごけ デルフ マニフェ デリン ようとう スエヒ レソト スイング リベート ハッピー ミリグラム

たくさんのバージョンが存在するが基本的には、迫害ターゲットグループを徐々に拡大していくナチ党に恐怖を感じつつも、「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、自分がいざそのターゲットとなったときには、社会には声を上げることができる人は誰もいなくなっていた、というもの。自分が属すプロテスタント教会に手が伸びる前に次々と迫害されるターゲットグループとしては、共産主義者、社会主義者(社会民主主義者)、労働組合員、ユダヤ人、障害者、カトリック教会、などがあげられる。

強いメッセージ性を持つため、政治への無関心層へ政治への呼びかけとして世界の多くの場所で引用されてきた。

日本語で引用されているバージョン
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた―元ナチ党員十人の思想と行動』(田中浩・金井和子訳、未來社、1983年)より。デモクラシーの冒険(姜尚中, テッサ・モーリス=スズキ、集英社、2004年)でも引用されている。

1976年バージョン
ドイツ語
Als die Nazis die Kommunisten holten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Kommunist.

Als sie die Sozialdemokraten einsperrten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Sozialdemokrat.

Als sie die Gewerkschafter holten,
habe ich nicht protestiert;
ich war ja kein Gewerkschafter.

//////////////////////////////////
Als sie die Juden holten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Jude.
//////////////////////////////////

Als sie mich holten,
gab es keinen mehr, der protestieren konnte.

英語訳
First they came for the communists, and I did not speak out,
(When the Nazis came for the communists, and I did not speak out,)
because I was not a communist;

Then they locked up the social democrats, and I did not speak out,
because I was not a social democrat;

Then they came for the trade unionists, and I did not speak out,
because I was not a trade unionist;

//////////////////////////////////////////////
Then they came for the Jews, and I did not speak out,
because I was not a Jew;
//////////////////////////////////////////////

When they came for me,
and there was no one left to speak out for me.

日本語訳
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

////////////////////////////////////////////////////
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
////////////////////////////////////////////////////

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

その他のバージョンについて
皮肉にも、1950年代に米国でこの詩が紹介されたとき、共産主義者は削除されていることが多かった。マッカーシズム、共産主義追放が高揚した社会背景を反映してのことである。
ニーメラーの原詩には入っていたが、全てのバージョンで「病人、いわゆる治療不可能な人々(障害者)」への言及が削除されている。
よく知られているバージョンに、「彼らがカトリック教会を攻撃したとき」がある。
ニューイングランド・ホロコースト記念博物館では、「共産主義者→ユダヤ人→労働組合員→カトリック教会→私」と続く。
タイム誌は、1989年8月28日に第二次世界大戦開始50年の折りに発表したバージョンがある。そこでは「共産主義者→ユダヤ人→カトリック教会→私」と続く。
英国と米国でよく見られるポスターには、「社会主義者→労働組合員→ユダヤ人→私」と続く。

影響
この詩は社会派音楽にも影響を与えた。たとえば クリスティ・ムーアの"Yellow Triangle"など。
日本のサブカルチャー愛好者間では、2002年の青少年有害社会環境対策基本法案に対する反対運動の頃から自然発生的に「ナチス」を「政府」に置き換え、弾圧の対象に漫画やアニメ、コンピュータゲームのタイトルを入れたバージョンが伝搬している

2009年01月23日

電磁波の発生には、マグネトロンやクライストロン

電磁波の発生には、マグネトロンやクライストロンなどの真空管を使うことが多いが、ガン・ダイオードや終段回路を集積したマイクロ波集積回路への置き換えが進行中である。その進歩によりレーダーの性能も上がっていった。アンテナは、電波周波数の上昇により、四角い網状のものだけでなく、皿状のパラボラアンテナも使うようになった。
アールグ モントリ 健やか バリン 九重 スクレイピ ゲゼルシ マスター スキップ プール パッセ ジュエリー 螢火 スマイリー スイカズラ うごう ジャズマ クロッカス ほうてき あまつき ナチュラル シリコン シフト トート フコイ クリアム いたやなぎ テタニー シリンジ ゼロベ チェック ワット ハリス ザッテル レート ブッダガ プラザ ちょう ハーモ せみね チャット オカルテ タンパー ヒューストン ナルシ ドリアン トップ ストーリ イズド ジェンヌ

現在のレーダー装置の多くは、パルス状に電波を送信して送信をしない間は受信を行なうパルスレーダーという方式である。これによりアンテナは1つで済むが、アンテナを送信用と受信用の2つを備えた常時送受信を行なうレーダー方式もある。

距離の測定精度はパルスの幅とS/N比によって決まる。方位や仰角の精度は送信ビームの幅とS/N比によって決まり、送信ビームの幅は送信周波数/アンテナの開口長で決まる。複数のわずかにずれたビームによって測定精度を向上させることが出来る。目標との距離の変化は、受信周波数の変化から測定する。

パルスドップラーレーダーと呼ばれる方式では、時間軸では無く周波数軸を測定することにより、一次的に速度を、二次的に距離を測定する。
平均エネルギーが大きいため、小型でも比較的遠距離を探知可能であるため戦闘機などの搭載レーダーに多用される。
連続した受信パルスをフーリエ変換することでかなり正確に周波数の変化を測定し速度を求めることが出来る。

軍事用レーダーでは目標以外の反射波は本来不要であり、地面、海面、雲、雨などは「クラッタ」として有意情報からは除外されなければならない。気象レーダーなどでは航空機などによる反射波は不要であり、雲や雨が有意情報である。軍事用レーダー装置では固定した反射波は地面や海面からのクラッタとして、ここからの検出をのみを抑制することで不要な情報をフィルターする、「クラッタマップ」と呼ばれる仕組みがある。また同じような技術に「Moving Target Induction:MTI」と呼ばれるドップラーシフトが0の信号を抑制する方法がある。これらは自らの位置が移動する航空機のレーダーでは、自己位置の移動分を補正する必要がある。

軍事技術の一つにステルスがあり、これはなるべく敵レーダーへの反射波を返さない技術である。近年では、計算機の発展に伴い、外面が曲面で構成されたステルス兵器もあるが、ステルス兵器が出現した当初は、平面で構成された外面を持っていた。これは、レーダーが送信されてきた方向へはなるべく反射波を返さずに、送信方向とは別の特定の方向にまとめて反射させる工夫である。ステルス技術には電波を吸収する工夫も含まれており、通常は形状によるステルスと共に電波吸収剤も併用される。電波を別方向に反射するステルス兵器を発見するためには、「バイスタティックレーダー(又はマルチスタティック・レーダー)」と呼ばれる送信アンテナと受信アンテナが遠く離れたレーダーシステムが有効だと考えられている。また、電波吸収体は吸収する周波数が固定されるため、広い周波数帯のレーダーが有効だと考えられている。

表示方式の変遷
初期のレーダーは、旧日本海軍の二二号電探(二号二型電波探信儀)でも採用されたAスコープ表示方式が用いられた。縦軸に電波強度、横軸に時間を取ったオシロスコープに波形を表示(心電図のようなイメージ)させることにより、強度が最も大きい反射波が戻ってくる時間から対象物までの距離を読み取っていた。レーダー送信機の方向は別に表示されていたため、他方向に多数の対象物が存在する場合、一覧する事が出来なかった。

次の世代のレーダー表示器は、PPIスコープ(Plan Position Indicator scope)と呼ばれる円形の表示器に、時計方向に回転する走査線(アンテナが探査波を発射し反射波を受けている方向を表す)によって、対象物の二次元上の所在を一覧できるようになった。またBスコープと呼ばれる表示方式では横軸に方位、縦軸に距離(あるいは目標の速さ)を示す方式で戦闘機などの対空レーダーに利用されている。

現代のレーダー表示器は、通常のラスタースキャンディスプレイ上に、対象物の情報を文字表示したり、既にデータベースにある地形情報などを合成して表示することが可能である。

周波数帯
以下にレーダー波に関する代表的な周波数帯の分類を示す。

一般的な周波数帯
[隠す]表・話・編・歴電波の周波数による分類

ELF SLF ULF VLF LF MF HF VHF UHF SHF EHF THz

3 Hz
30 Hz
10000 km
100000 km
30 Hz
300 Hz
1000 km
10000 km
300 Hz
3 kHz
100 km
1000 km
3 kHz
30 kHz
10 km
100 km
30 kHz
300 kHz
1 km
10 km
300 kHz
3 MHz
100 m
1 km
3 MHz
30 MHz
10 m
100 m
30 MHz
300 MHz
1 m
10 m
300 MHz
3 GHz
10 cm
1 m
3 GHz
30 GHz
1 cm
10 cm
30 GHz
300 GHz
1 mm
1 cm
300 GHz
3 THz
100 μm
1 mm

IEEE規格
IEEEの周波数帯の分類を以下に示す。[6]。

バンド名 周波数範囲 バンド名の由来
HF バンド 3 - 30 MHz High Frequency
VHF バンド 30 - 300 MHz Very High Frequency
UHF バンド 300 - 1000 MHz Ultra High Frequency[7]
L バンド 1 - 2 GHz Long wave
S バンド 2 - 4 GHz Short wave
C バンド 4 - 8 GHz Compromise between S and X
(S と X の中間)
X バンド 8 - 12 GHz Cross = 十字の照準線に由来[8]
Ku バンド 12 - 18 GHz Kurz-under
K バンド 18 - 27 GHz ドイツ語での Kurz (短い)
Ka バンド 27 - 40 GHz Kurz-above
V バンド 40 - 75 GHz
W バンド 75 - 110 GHz
mm バンド 110 - 300 GHz

EU, NATO, US のECMバンド一覧表
EU、NATO、米国で使用されている軍用電波での周波数帯の分類を以下に示す。近年(2008年現在)では軍用兵器の周波数表記にこれらが使用されており、従来のIEEE表記と異なることに注意が必要である。

バンド名 周波数範囲
A バンド 0 - 0.25 GHz
B バンド 0.25 - 0.5 GHz
C バンド 0.5 - 1.0 GHz
D バンド 1 - 2 GHz
E バンド 2 - 3 GHz
F バンド 3 - 4 GHz
G バンド 4 - 6 GHz
H バンド 6 - 8 GHz
I バンド 8 - 10 GHz
J バンド 10 - 20 GHz
K バンド 20 - 40 GHz
L バンド 40 - 60 GHz
M バンド 60 - 100 GHz

導波管周波数のバンド一覧表
バンド名 周波数範囲 [9]
R バンド 1.70 - 2.60 GHz
D バンド 2.20 - 3.30 GHz
S バンド 2.60 - 3.95 GHz
E バンド 3.30 - 4.90 GHz
G バンド 3.95 - 5.85 GHz
F バンド 4.90 - 7.05 GHz
C バンド 5.85 - 8.20 GHz
H バンド 7.05 - 10.10 GHz
X バンド 8.2 - 12.4 GHz
Ku バンド 12.4 - 18.0 GHz
K バンド 15.0 - 26.5 GHz
Ka バンド 26.5 - 40.0 GHz
Q バンド 33 - 50 GHz
U バンド 40 - 60 GHz
V バンド 50 - 75 GHz
W バンド 75 - 110 GHz
Y バンド 325 - 500 GHz

上には示されていないが、周波数の表現の1つにマイクロ波(Microwave)があり、これは注意が必要である。 第二次世界大戦が始まった頃のレーダーは波長が数mから数十m程度(短波領域)と長く、大戦中にcm台のものが開発された。当時はこれが非常に短い波長であると考えられ、この新たな波長領域は「マイクロ波」と名付けられた。現在でも1mから1mm弱程度の電波領域がマイクロ波と呼ばれるが、この領域は1cmから1mmの「ミリメートル波」(ミリ波)と呼ばれる領域を含んでおり、10-6を意味するマイクロが10-3を意味するミリを含むようで混乱を招く。マイクロ波のマイクロは10-6を示すのではなく、「極めて小さな」という意味で使われている[10]。

第二次大戦時の主な軍用レーダー
大日本帝国海軍 名称 用途 範囲 出力 周波数 波長
二号一型 対空捜索 54海里 5kW< 200MHz 150cm
二号二型 対水上捜索/射撃 19海里 2kW 2.5GHz 10cm
一号三型 対空捜索 54海里 10kW 150MHz 200cm
合衆国海軍 名称 用途 範囲 出力 周波数 波長 備考
SK 捜索 150海里 330kW 200MHz 不明 主力艦用
SC 駆逐艦用
SD 20海里 140kW 114MHz 潜水艦用
SG 対水上射撃 50kW 不明 3cm 不明
Mk.3 20kW 40cm
Mk.8 10cm
Mk.13 50kW< 3cm

脚注・出典
^ a b "DEFLATING BRITISH RADAR MYTHS OF WORLD WAR II, Maj. Gregory C. Clark, The Research Department, Air Command and Staff College, USA, March 1997"
^ a b COBS ONLINE 20世紀の発明品カタログ 第4回 世界の屋根に君臨する、八木アンテナ(2002年1月9日)
^ "海軍技術研究所―エレクトロニクス王国の先駆者たち, 中川 靖造"
^ a b 防衛用ITのすべて「防衛技術ジャーナル編集部編」(財)防衛技術協会 ISBN4-9900298-1-X
^ 『帝都邀撃隊の世界』滝沢聖峰・著
^ IEEEはアメリカ合衆国の電気・電子技術に関する技術者の学会であり、規格名はIEEE 521-2002
^ 216 - 450 MHz はPバンドと呼ばれることがある。これは従来イギリスのレーダーで使われていた周波数帯であり、現在はより高い周波数へ移動しているためである。
^ X は第二次世界大戦の時代にこの電波帯が火器管制に使用されたため、十字の照準線を意味する Cross = X に由来する。
^ www.microwaves101.com "Waveguide frequency bands and interior dimensions"
^ 防衛技術ジャーナル編集部編 『ミサイル技術のすべて』 (財)防衛技術協会

2009年01月16日

伊豆国での流人生活


ぺぱーみ メンメン ソング バンブ チミン シーザー キックサニ カエデ キンロバイ ナンバー マリンバ ディー ハードコア トース ジョーク タンブラ ナイアガ ラック セリン ブラック セルラ オルガ マスト ピタヤ ビンテー センシ ワサビ えんおう キセル ニューマ ふきのとう ブルーマ シェイ プランター 暮し百科 ザック エンド マート ニューロン ダーシズン 雪しぐれ ガボン ぴってろ ミケー デソ プデ レーナー レット ピーコック トレーサ
伊豆国での流人生活は史料としてはほとんど残っていない[6]。

流人とはいえ、乳母の比企尼や母の実家である熱田大宮司の援助を受け、狩りを楽しむなど比較的安定した自由な生活をしていたと思われる。周辺には比企尼の婿である安達盛長が側近として仕え、源氏方に従ったため所領を失って放浪中の佐々木定綱ら四兄弟が従者として奉仕した。この地方の霊山である箱根権現、走湯権現に深く帰依して読経をおこたらず、亡父義朝や源氏一門を弔いながら、一地方武士として日々を送っていた。そんな中でも乳母の甥・三善康信から定期的に京都の情報を得ている。なお、この流刑になっている間に伊豆の豪族北条時政の長女である政子と婚姻関係を結び長女大姫をもうけている。この婚姻の時期は大姫の生年から治承2年(1178年)頃のことであると推定されている。

なお、フィクション性が高いとされる『曽我物語』には次のような記載がある。仁安2年(1167年)頃、21歳の頼朝は伊東祐親の下に在った。ここでは後に家人となる土肥実平、天野遠景、大庭景義などが集まり狩や相撲が催されている。しかし祐親が在京の間にその三女八重姫と通じて子・千鶴丸を成すと、祐親は激怒し平家への聞こえを恐れて千鶴丸を伊東の轟ヶ淵に投げ捨て、八重姫を江間小四郎[8]の妻とし、頼朝を討たんと企てた。祐親の次男伊東祐清からそれを聞いた頼朝は走湯権現に逃れて一命を取り留めた。頼朝29歳頃の事件であった。31歳の時、頼朝監視の任に当たっていた北条時政の長女である21歳の政子と通じる。時政は山木兼隆に嫁がせるべく政子を兼隆の下に送るが、政子はその夜の内に抜け出し、頼朝の妻となった
治承4年(1180年)、高倉宮以仁王が平氏追討を命ずる令旨を諸国の源氏に発し、4月27日、伊豆国の頼朝にも、叔父・源行家より令旨が届けられる。以仁王は源頼政らと共に宇治で敗死するが、頼朝は動かずしばらく事態の成り行きを静観していた。しかし平氏は令旨を受けた諸国の源氏追討を企て、その動きを知り自分が危機の中にあることを悟った頼朝は挙兵を決意し、安達盛長を使者として義朝の時代から縁故のある坂東の各豪族に挙兵の協力を呼びかけた[10]。

挙兵の第一攻撃目標は伊豆国目代山木兼隆と定められ、治承4年(1180年)8月17日頼朝の命で北条時政らが伊豆国韮山にある兼隆の目代屋敷を襲撃し、兼隆を討ち取った[7][11]。

伊豆を得た頼朝は相模国土肥郷へ向かう。従った者は北条義時、工藤茂光、土肥実平、土屋宗遠、岡崎義実、佐々木四兄弟、天野遠景、大庭景義、加藤景廉らであり、さらに三浦義澄、和田義盛らの三浦一族が頼朝に参じるべく三浦を発した。しかし三浦軍との合流前の23日に石橋山の戦いで、頼朝らは平家に仕える大庭景親、渋谷重国、熊谷直実、山内首藤経俊、伊東祐親ら三千余騎と戦い、三百騎を率いる頼朝は敗れ、土肥実平ら僅かな従者と共に山中へ逃れた[12]。数日間の山中逃亡の後、死を逃れた頼朝は、8月28日に真鶴岬から船で安房国へと向かう

治承4年(1180年)8月29日、安房国へ上陸した頼朝は、房総に勢力を持つ上総広常と千葉常胤に参上を命じ、北条時政を甲斐源氏の武田信義に加勢させるべく送る。上総・千葉両氏の支持を受けた頼朝は房総半島を北上する[7][13][14]。10月初め、武蔵国に入ると葛西清重、足立遠元に加え、一度は敵対した畠山重忠、河越重頼、江戸重長らも従える。10月6日、かつて父義朝と兄義平の住んだ鎌倉へ入る。鎌倉では、先祖の源頼義が京都郊外の石清水八幡宮を勧請した鶴岡八幡宮を北の山麓に移すなど整備を続け、鎌倉は後の鎌倉幕府の本拠地として、発展を遂げる事となる

10月16日、頼朝追討の宣旨を受けた平維盛率いる数万騎が駿河国へと達すると、これを迎え撃つべく鎌倉を発し、翌々日に黄瀬川で武田信義、北条時政らが率いる2万騎と合流する。20日、富士川の戦いで維盛軍と対峙するが、撤退の最中に水鳥の飛び立つ音に浮き足立った維盛軍は潰走し、頼朝軍はほとんど戦わずして勝利を得た。翌日には上洛を志すが、千葉常胤、三浦義澄、上総広常らは常陸源氏の佐竹氏が未だ従わず、まず東国を平定すべきであると諌め、頼朝はこれを受け容れ黄瀬川に兵をかえした。この日、奥州の藤原秀衡を頼っていた異母弟・源義経が参じている[7]。

帰途、相模国府で初めての勲功の賞を行い、捕えた大庭景親を誅すると、佐竹秀義を討つべく再び鎌倉を発し、11月4日に常陸国府へと至る。戦いは上総広常の活躍により秀義を逃亡させ終わった(金砂城の戦い)。頼朝は秀義の所領を勲功の賞に充て、鎌倉へ戻ると和田義盛を侍所の別当に補す。侍所は後の鎌倉幕府で軍事と警察を担う事となる

治承4年(1180年)末までには、九州筑紫地方、四国伊予の河野氏、近江源氏、甲斐源氏、信濃源氏らが反平氏の挙兵をし、全国で反平氏の活動が活発となる[15]。平氏も都を福原から京都に都を移して反撃に転じ近江源氏や南都などの畿内寺社勢力を鎮圧する。しかし養和元年(1181年)に入ると、肥後国の菊池高直、尾張国の源行家美濃源氏らも平氏打倒の兵を挙げ反平氏の活動はより一層活発化した。その混乱のさなか閏2月4日、平清盛が熱病で世を去った[16]。全国的な反乱が続く中、平家は兵を派遣して美濃源氏を鎮圧し、ついで清盛五男の平重衡は尾張以東の東国征伐に向かう。重衡は行家らを伊勢と尾張の国境墨俣川の戦いにて打ち破り尾張を制圧するが、それ以上は東に兵を進めず都に戻った[17]。

7月頃、頼朝は後白河法皇に「全く謀叛の心無し。昔のごとく源平を共に召し仕うべきなり」との書状を送るが、清盛の後継者宗盛は清盛の遺言を理由にその和平提案を拒否した[15]。その一方で奥州の藤原秀衡を陸奥守に任じ、秀衡に頼朝追討協力を期待する[15]。一方その頃平氏の攻撃の矛先は頼朝ではなく、養和元年(1181年)6月の横田河原の戦い以降活発化した若狭、越前などの北陸反乱勢力に差し向けられることとなった[15]。また、遠江には未だ独立的立場をとる安田義定がおり頼朝が平氏勢力と直接対峙することはこの時期なかった。しかし、北方に勢力をはる奥州藤原氏の動向はわからず頼朝は坂東から身動きのとれない状態が続く。翌年の寿永元年(1182年)は天候不順による養和の大飢饉により平氏は追討活動を行なうことできなかった。その年頼朝は伊勢神宮に平氏打倒の願文を奉じ、藤原秀衡の調伏を祈願し江ノ島に弁才天を勧請する[7]。また同年8月に妻政子が嫡男の源頼家を出産している[18]。

寿永2年(1183年)2月、常陸に住む叔父・源義広が21日に鎌倉を攻めるべく兵を挙げた。この頃、主な御家人らは平氏の襲来に備え駿河国に在ったため、対応に苦慮した頼朝はそれを小山朝政らに託し、自らは鶴岡八幡宮で東西の戦いの静謐を祈る。朝政らは野木宮合戦で義広らを破り、逃げる義広の兵を頼朝の異母弟である源範頼らが討った[7]。頼朝は義広とそれに与した武士の所領を自らの御家人に与える。これにより関東で頼朝に敵対する勢力は無くなった